2010年11月10日

日本初のボクシングジム「国際柔拳倶楽部」

神戸新聞「新兵庫人」(2010/04/25)

港町で百年 「闘志」脈々と  「パンチは10倍にして返せ」
55b.jpg
神戸拳闘会は谷崎善子さんの意志で15年前と同じ姿を残している。震災で止まっていた掛け時計は再び時を刻んでいる=神戸市兵庫区(撮影・内田世紀)

日本初のボクシングジムは101年前、神戸に生まれた。神戸港から伝わった欧米発祥の格闘技を、気骨のある男たちが発展させた。

 1909年、嘉納健治(故人)が御影町(現・神戸市東灘区)の自邸につくった「国際柔拳倶楽部」(後の大日本拳闘会)が国内ジムの源流とされる。

 健治は柔道の創始者、嘉納治五郎(故人)のおいっ子。神戸港を訪れた外国人船員からボクシングを学ぶと、神戸で広めようと一計を案じた。柔道対ボクシングの異種格闘技戦「柔拳試合」。拳で相手を殴り倒す未知のスポーツに人々は熱狂し、13年に新開地にできた劇場「聚楽館(しゆうらくかん)」で試合が行われると、満員になったという。

 健治はほかの人がジムをつくることを認めず、いくつかのジムが生まれては消えていった。そんな中、敢然と健治に意見し、31年に神戸拳闘会を立ち上げたのが谷崎善次(故人)だった。この神戸拳闘会が、世界チャンピオン長谷川穂積と西岡利晃を生んだ兵庫県ボクシング界の礎を築く。

 善次は「スポーツの独占は間違っている」と堂々と立ち向かい、健治はその度胸を気に入ってジムを認めたという。やがて健治の大日本拳闘会は姿を消すが、神戸拳闘会は戦災を乗り越え、長い歴史を刻む。



 善次の指導方針は明快だった。「一発どつかれたら、十発どつき返せ」。闘志を前面に出したファイトを命じ、技術は基本を徹底した。後に日本ミドル級チャンピオンとなる千里馬啓徳(52)はワンツーだけ教わったという。「入門して1カ月はずっと縄跳びで、半年はひたすらジャブ。次の半年はワンツーだけ。単調でしんどいから、今の子やったらやめてるでしょうね」。ただ、こうも言う。「僕のワンツーはどこでも通用した」。長いリーチを生かした一直線に突き刺すストレートで日本の頂点に立った。

 80年代から90年代前半にかけて千里馬や浅川誠二(故人)ら4人の日本王者が相次いで誕生し、ジムは絶頂期を迎える。善次は日本王者誕生を見届けるように息を引き取った。中学生の時から練習をサポートしてきたトレーナーの板東芳昭(63)は「いつも寡黙な会長が日本王者になった選手の肩を抱き寄せて、本当にうれしそうだった」と振り返る。


 95年の阪神・淡路大震災で状況は暗転する。激しい揺れでジムの建物は半壊。壁や床に亀裂が走った。掛け時計が落ち、5時46分で止まった。強い衝撃が建物にかかるボクシングを続けることは難しかった。何千人ものボクサーをはぐくんだジムは64年の歴史に幕を閉じた。

 しかし、まかれた種は各地で芽を吹いた。

 千里馬は86年に神戸・春日野道に千里馬神戸ジムを設立。2005年、同ジムからデビューした長谷川がウィラポン=タイ=を初挑戦で下し、神戸のジム初の世界王者となった。

 これまで兵庫からは宝塚市出身の渡嘉敷勝男(49)と、神戸市長田区出身の佐藤修(33)が世界王者となったが、2人とも上京後、大手の協栄ジムでプロ入りした選手だ。

 世界王者への挑戦には通常数千万円の費用がかかる。地方のジムから世界タイトルを手にすることは難しいと言われた中での快挙だった。

 加古川市では神戸拳闘会OBの熟山(みのりやま)進之助(60)がJM加古川ジムを開き、西岡を10歳から育てた。「カウンターのセンスが抜群で、子どものころから見てない所でも練習する子だった」。00年の世界初挑戦は失敗。チャンスを求める西岡が東京の大手、帝拳ジムへの移籍を望んだため、快く送り出した。

 08年9月、西岡は5度目の世界挑戦で王座を獲得する。熟山はテレビの前で泣いた。「僕のジムでは何度も世界挑戦させてやれる力はなかった。本当によかった。8年間よう辛抱したと思う」

 4月30日、長谷川と西岡のダブル世界戦を取り仕切るのは神戸拳闘会出身のジョー小泉(63)だ。世界を飛び回って幾多の名勝負を手掛け、世界ボクシング殿堂入りしている。小泉は言う。「先輩諸氏の有形無形の伝統が長谷川選手と西岡選手の中に生きている。彼らがまたいつか指導者となり、伝統が受け継がれる」


 神戸拳闘会は今も当時の姿が保たれている。板ぶきのフロア中央に4メートル四方のリングが置かれ、天井からサンドバッグがぶらさがる。壁には色あせた日本王者の写真が並ぶ。きれいに掃除されているが、染みついた汗のにおいがかつての練習風景を思い起こさせる。

 初代会長、善次の長女、谷崎善子(59)は「ここは父の生きた証し。ここをつぶすことはできない」と話す。今も小泉らOBや関係者が訪れ、往時を懐かしむ。

 長谷川は07年、トレーナーの山下正人(47)が新たに設立した真正ジムに移籍。今年2月からジムは兵庫区に移った。くしくも神戸拳闘会と目と鼻の先だ。

 「神戸からどんどん新しいチャンピオンをつくっていきたい」と山下。一発どつかれたら、十発どつき返せ―。神戸拳闘会の掛け時計は再び動き始めた。(敬称略)

(運動部・伊藤大介)


posted by NETMKスタッフ at 18:54| 兵庫 | Comment(0) | 神戸発祥物語 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
コメントを書く
お名前: [必須入力]

メールアドレス: [必須入力]

ホームページアドレス:

コメント: [必須入力]

※ブログオーナーが承認したコメントのみ表示されます。
×

この広告は180日以上新しい記事の投稿がないブログに表示されております。