2011年01月09日

牛鍋・すき焼きのはじまり

明治2年 神戸に日本初牛肉(但馬牛)を提供「外国亭」「関門月下亭」できる
明治4年 神戸に日本初牛肉の小売「大井精肉店」創業

1868 明治2年 元町の西端に肉鍋専門店「関門月下亭」が開業し、名物神戸牛の牛鍋を出しました。日本では幕末になるまでは肉を食べる習慣がありませんでした。又、明治6年には店頭で農具の鍬を鍋のかわりに使った肉料理を売り出し、すき焼きを始めました。

語源
すき焼きの語源は、もともと江戸時代に農夫達が仕事中に腹が減ると、農具の鋤〔すき〕(※)の金属部分を鉄板の代わりにして魚や豆腐を焼いて食べたことから「鋤焼〔すきやき〕」と呼ばれるようになりました。
※鋤…牛や馬に引かせて土を掘り起こす農具の事。
この他にも、薄く切った肉を意味する「剥身〔すきみ〕」から「剥き焼き」となったとする説もあります。
※別に「すきやき」と称された料理は存在していた。

「以下ウィキペディア」
Cookingsukiyaki.jpg古くは寛永20年(1643年)刊行の料理書『料理物語』に「杉やき」が登場しており、これは鯛などの魚介類と野菜を杉材の箱に入れて味噌煮にする料理である。
「鋤やき」は、文化元年(1804年)の『料理談合集』や文政12年(1829年)の『鯨肉調味方』にも、使い古した鋤を火にかざして鴨などの鶏肉や、鯨肉などを加熱する一種の焼肉であったことが記されている。この魚介類の味噌煮の「杉やき」と、鳥類・魚類の焼肉という「鋤やき」という二種類の料理が、牛肉の鍋物としての「すき焼き」の起源と言われている。
「すき焼き」とはもともと関西地方での呼び名で関東地方では「牛鍋」と呼ばれていましたが、現在では一般的に「すき焼き」として親しまれています。

安政6年(1859年)に横浜が開港すると、居留地の外国人たちは食肉文化を持ち込んだ。地元農民の理解を得られず、当初は中国や朝鮮、あるいはアメリカから食用牛を仕入れていた。しかし居留地人口の増加に伴い牛肉の需要が増加。近畿地方や中国地方が和牛の一大産地であったことから、神戸の家畜商が横浜へ食用牛を搬送するようになった。このような状況をうけて、幕府は元治元年(1864年)居留地に指定されていた海岸通りにわが国最初とされる屠牛場の開設を認めている。
屠場開設から二年遡った文久2年(1862年)、横浜入船町で居酒屋を営んでいた伊勢熊(いせくま)が店を二つに割って牛鍋屋を開業する。一般にこれが最初の牛鍋屋だと言われている。明治元年(1868年)、高橋音吉が「太田なわのれん」を操業し、味噌煮込み風牛鍋の原型を作った(後述)。同年、横浜につづき東京の芝にも外国人向け屠牛場ができると牛鍋屋の流行は飛び火し、以後牛食は文明開化の象徴となる。仮名垣魯文はこうした状況を『安愚楽鍋』(1871年)に描き出している。この関東の「牛鍋」に対し、関西では先に焼いた牛肉を砂糖・醤油・出汁で調味する「すき焼き」が行われており、次第に関東でもこちらの「すき焼き」という呼称が定着していったようである。
200px-Gyu-nabe.jpg横浜にはぶつ切り牛肉を使い、適宜、割下を注ぎながら濃い味噌だれで炒りつけるように煮る牛鍋を供する名店がある。幕末期、開港場の横浜では牛肉の煮売り屋台があった。ぼたん鍋の転用で、味噌煮込みであったらしい。明治初期の「牛屋(ぎゅうや)」の牛鍋もこうした味噌鍋が主流であったと思われる。先述のぶつ切り牛肉の味噌鍋の店も、こうした牛鍋のプロトタイプの名残りと見る事ができよう。
posted by NETMKスタッフ at 13:16| 兵庫 ☁| Comment(0) | 神戸発祥物語 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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