2011年04月28日

マラソン発祥、神戸にLC寄贈 神戸マラソン、出発地の市役所に

◇11月に第1回
 日本のマラソン発祥の地・神戸を記念した石碑が26日、神戸市役所(神戸市中央区)に設置された。「第1回神戸マラソン」が11月20日に開催されるのを機に、神戸須磨ライオンズクラブ(井上裕崇会長)が寄贈した。

 市役所は、神戸マラソンのスタート地点。石碑は緑色と赤色の御影(みかげ)石製で高さ1・3メートル、幅約1・4メートル。石をくりぬいてランナーのシルエットを表現し、「日本マラソン発祥の地 神戸」と日本語と英語で書かれたプレートも付けた。

 日本初のマラソンは、明治42(1909)年3月21日、神戸−大阪間を走った「マラソン大競走」とされる。20人のランナーが湊川埋め立て地(現在の新開地)をスタートし、新淀川の西成大橋までの31・7キロを18人が完走した。

 大会を主催した大阪毎日新聞は、沿道で子どもたちが旗を振り、ゴールした選手を花電車が迎えるなど華やいだ様子を伝えている。

 同クラブは「マラソンが神戸発祥の地ということは市民にもあまり知られていない。ランナーには、発祥の地で走るという喜びを感じてほしい」と話している。【大金紗知子】
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2011年02月09日

バレンタインデーのチョコレートは神戸発祥!

支局長からの手紙:満州事変と愛の贈り物 /兵庫

 15年戦争の発端となる満州事変が起きたのは、今から80年前の昭和6(1931)年9月。その1カ月前に、神戸・トアロードのチョコレートショップから洋菓子製造販売の老舗、モロゾフは出発しました。

 同社のロングセラーには、カスタードプリン、チーズケーキなどがありますが、何と言っても、バレンタインデーのチョコレートが有名です。創立の翌年、早くも国内で初めて販売したことを示す資料も残っていました。

 欧米の習慣を取り入れた神戸らしい商品戦略でしょうか。二・二六事件の昭和11(1936)年には、英字新聞にバレンタインチョコレートの広告も出しました。

【神戸支局長・二木一夫】

「記事全文」 →
http://mainichi.jp/area/hyogo/letter/news/20110207ddlk28070181000c.html
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2011年01月09日

牛鍋・すき焼きのはじまり

明治2年 神戸に日本初牛肉(但馬牛)を提供「外国亭」「関門月下亭」できる
明治4年 神戸に日本初牛肉の小売「大井精肉店」創業

1868 明治2年 元町の西端に肉鍋専門店「関門月下亭」が開業し、名物神戸牛の牛鍋を出しました。日本では幕末になるまでは肉を食べる習慣がありませんでした。又、明治6年には店頭で農具の鍬を鍋のかわりに使った肉料理を売り出し、すき焼きを始めました。

語源
すき焼きの語源は、もともと江戸時代に農夫達が仕事中に腹が減ると、農具の鋤〔すき〕(※)の金属部分を鉄板の代わりにして魚や豆腐を焼いて食べたことから「鋤焼〔すきやき〕」と呼ばれるようになりました。
※鋤…牛や馬に引かせて土を掘り起こす農具の事。
この他にも、薄く切った肉を意味する「剥身〔すきみ〕」から「剥き焼き」となったとする説もあります。
※別に「すきやき」と称された料理は存在していた。

「以下ウィキペディア」
Cookingsukiyaki.jpg古くは寛永20年(1643年)刊行の料理書『料理物語』に「杉やき」が登場しており、これは鯛などの魚介類と野菜を杉材の箱に入れて味噌煮にする料理である。
「鋤やき」は、文化元年(1804年)の『料理談合集』や文政12年(1829年)の『鯨肉調味方』にも、使い古した鋤を火にかざして鴨などの鶏肉や、鯨肉などを加熱する一種の焼肉であったことが記されている。この魚介類の味噌煮の「杉やき」と、鳥類・魚類の焼肉という「鋤やき」という二種類の料理が、牛肉の鍋物としての「すき焼き」の起源と言われている。
「すき焼き」とはもともと関西地方での呼び名で関東地方では「牛鍋」と呼ばれていましたが、現在では一般的に「すき焼き」として親しまれています。
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2011年01月06日

ラムネの販売はじまる

200px-Ramune.jpg1884(明治17年)
居留地18番(現、明石町/大日ビル)にあったスコットランド人のシム商会が製造・販売を始めました。
地番から、当時はラムネは「18番」と呼ばれたそうです。
コレラにきくという噂もでて、バカ売れしたそうです。

1864(元治元年)「ラムネ」ではありませんが、その前進「レモネード」を上海から横浜居留地に進出してきたファー兄弟商会が販売を始めました。
レモネードの他にビールや滋養強壮飲料まで販売していたそうです。
サイダーとラムネの話、続きを読む>>
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2010年12月20日

洋家具の製造

1883年(明治16年)
1872年(明治5年)創業の「永田良介商店」が、
1883年(明治16年)に船大工たちを集め洋家具の製造
を始めました。ドイツ、オランダなどの北欧家具調が中心
だったそうです。今も、オーダーメイド北欧風家具が、
多いといわれています。
明治18年神戸天池徳兵衛作の椅子
untitled.bmp
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2010年12月13日

パーマネントのはじまり

(大正12年)
(大正12年)関東大震災で横浜へ向かう 予定を変更し
て神戸のホテルへ宿泊し たアメリカ人エンブレス氏が「
ーマネント」の機械を持っていました。
宿泊先のオリエンタルホテルの散髪屋 がその機械を使用
したのが始まりです。
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2010年11月23日

日本初 の本格的水族館

1897(明治30年)神戸で大日本水産博覧会が開催されました。
和田岬にあった「和楽園」に日本初 の本格的水族館が建てられました。

和楽園復元模型
untitled.bmp
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2010年11月22日

神戸は、国内で最初にコーヒーを売り出す

本高砂屋ホームページより
〈コーヒー〉だってやはり神戸。日本で一番の喫茶店となると、東京と一般的な資料は語りますが、御存じの通り、コーヒーの大手UCC上島珈琲や、外資系ではネッスルも神戸にその本拠を置いています。新聞記事には1878年(明治11年)に、元町でコーヒーを飲む話題が掲載されていますから、神戸は国内で、最も早く一般にコーヒーが売り出され始めた場所の一つといえます。
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2010年11月21日

日本最初のガス灯

1872(明治5年)9月
高島嘉右衛門らの日本人会社が、ガス塔事業を開始。
明治3年に伊勢山下石炭蔵跡に工場建設が進められ、同5年9月に大江橋から馬車道、本通りにかけて、日本最初のガス灯が点火されました。

untitled.bmp
1872(明治5年)11月
外国人の出資会社であるヒョーゴ・ガス・カンパニーが創立。
1874(明治7年)、小野浜に工場を完成し、11月に居留地のガス灯が点灯しました。
相楽園旧ハッサム邸にあるガス灯は明治7年当時のものといわれています。

高島嘉右衛門について [ウィキペディア]←クリック
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2010年11月19日

テニスの始め

1878(明治11年)
定かな記録は、残っていませんが、神戸にも当時ヨーロッパ人が多くすんでおり、おそらくこの頃テニスも始められていたと思われます。
1878(明治11年)
居留地に住む夫人達がレディース ローン テニス アンドクロッケークラブを設立し、山手公園内に5面のテニスコートを作りました。

日本庭球発祥の地碑

untitled.bmp

ウィキペディアによると、
「日本へのローンテニスの伝播については諸説あり、いまだ詳らかではない(なかでは1878年にアメリカのリーランドが文部省の体操伝習所で紹介したという説が広く流布しているが、確たる証拠はないとされる)。 用具の調達が困難であったことからゴムボールを使う日本の独自の軟式テニス(現在のソフトテニス)を考案し、独自の発展を遂げた。その軟式テニスで育った選手(熊谷一弥、清水善造、佐藤次郎等)が硬式テニスに転向し、欧州、米国に転戦し始める。彼らはその独特のテニス(軟式テニスで培われたドライブ)で大活躍し、世界を驚かせた。清水は1920年のウィンブルドン選手権「チャレンジ・ラウンド」で決勝に進出し、当時の世界ナンバー1だった米国のビル・チルデンに肉薄した。また、その年に開催された第7回オリンピックで日本がシングルス、ダブルスともに銀メダルを獲得した(尚このメダルが日本のオリンピック最初のメダルである)。熊谷は主に米国で活躍し、クレーコートで無類の強さを発揮した。佐藤は当時の世界ランキングで3位まで昇りつめたが、1934年4月に遠征中にマラッカ海峡で投身自殺をする。」と記述されており、私の推測では、日本で最初に日本独特の軟球ゴムボールを製造したのが、神戸であったと思われる。

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posted by NETMKスタッフ at 11:43| 兵庫 | Comment(0) | 神戸発祥物語 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする