2010年11月19日

神戸は映画の発祥の地

2006年個人ブログより

時は今から110年前の1896年。
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神戸の鉄砲火薬商、高橋信治氏がエジソンが発明したキネストスコープという機械を輸入して花隈の神港倶楽部で最初の興行が行われたのが日本の映画歴史の始まりらしい。
その2ヵ月後には大阪の南地演舞場、東京浅草の花屋敷、上野公園で公開されたことから、またたく間に映画の人気は全国に広まったそう。

現在は神戸で最初の興行が行われた12月1日が映画の日に制定されてるらしい。

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2010年11月14日

日本近代洋服発祥の地

神戸市役所の南に隣接する 東遊園地の中に, 不思議な形をした 大きく平面的な石碑が置いてある。(碑文によると, 洋服の身頃と袖部分の型紙を象形化したものという。)
これから少し離れたところに 説明碑, さらに副碑が建てられている。
横浜には「洋裁業発祥の地」碑がある。神戸の「洋服発祥」が紳士服であるのに対して, 横浜のは 婦人服を主な対象としているようだ。なんとなく棲み分けているようで面白い。
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2005年10月 (写真提供 T.K.さん)
日本近代洋服発祥の地 顕彰彫刻建立の趣意
 明治2年(1869)英国人カベル氏(通称)が元居留地(現神戸市役所東遊園地附近)16番館に洋服店を開業したのが神戸に於ける洋服商の嚆矢であります。ついで30番館に英国人スキツプ氏と其の附近に中国人其昌号氏とが開店し, 日本人では泉小十郎氏が創業し続いて明治5年(1872)西田正太郎氏が開業しました。
 明治政府はこの年太政官発令第373号を以て「爾今礼装は洋服を着用する事」と布告しました。爾来100年神戸における先輩業者の刻苦精励は, 逐に神戸洋服と云う固有名詞を作り上げ其の輝かしい名声は全国に喧伝されて今日に至って居ります。
 此所に神戸洋服商工業協同組合は業界の総意に依って太政官発令100年に当る昭和47年(1972)を記念しファッション都市神戸の宣言を背景に, 栄光ある先覚者への敬慕と業者一層の精進研鑚とをこの彫刻に託して後世に伝えんとするものであります。

    昭和49年(1974)10月吉日
        神戸洋服商工業協同組合 理事長   渡邉利雄
        顕彰彫刻建立委員会   名誉会長  竹馬準之助
        顕彰彫刻建立委員会   会長    柴田高明
          題字は宮崎辰雄神戸市長の揮毫によるものです

(副碑)
 この大きな石は, 神戸洋服商工業協同組合が, 明治5年の洋服着用太政官発令100年を記念し, この東遊園地に, 現代彫刻を設置することを計画して, 彫刻グループ環境造形Q(山口牧生, 増田正和, 小林陸一郎)に制作を依頼したものです。素材の石は岡山県北木島より運びました。彫刻は洋服の身頃と袖を象形化したものです。

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2010年11月13日

ボウリング発祥の地 神戸


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ボウリング発祥の地 1869  ボウリング発祥・記念碑
神戸開港間もない1869年4月20日, 外国人居留地だったこの地に, ボウリング設備のある THE KOBE CLUB が誕生。長崎につぐボウリング伝来の地, 神戸では, わが国スポーツ文化の夜明けに影響を与えるストライク交歓が活発にくり広げられた。
 記念碑は, 1989年のボウリング発祥120周年, 神戸市制100周年の記念建立計画に基づき, 1991年7月23日に完成。2005年10月 (写真提供 T.K.さん)

神戸市役所に隣接する 東遊園地の南西端(神戸市中央区加納町6丁目)に, 黒いボウリングの球と 白いピンを象ったしゃれたデザインの碑が建っている。
幕末に諸外国と結ばれた 修好通商条約に基づき, 神戸は横浜より10年遅い 1868(明治元)年に開港され, 当時の兵庫の市街地から 3〜4km東に 外国人居留地を定めた。
居留地の範囲は, 西は メリケンロード(大丸神戸店の西), 東は フラワーロード(東遊園地の東), 北は 旧西国街道, 南は 海岸線で囲まれる およそ500m四方の区域。
居留地は当初から 近代的な都市計画がなされ, 格子状の街路・公園・下水道などが整備され, 整然とした敷地割りが行われた。この形状は現在もほとんど変化していないと言われる。

神戸に 会員制クラブとして ボウリング場が開設されたのは 居留地の開発が始まってすぐ, 1869(明治2)年4月20日のことであった。



わが国ボウリング発祥の地は長崎か?=続きを読む
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2010年11月12日

定説とは正反対の軟らかい素材のヘッド

神戸新聞「新兵庫人」(2010/07/25)より

クラブとボール 定説覆した新ヘッド
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クラブと衝突したボールはすべり、止まり、ねじれ、ほどけてから飛ぶ。「解析に神戸のスパコンもぜひ活用したい」と山口哲男さん=神戸市中央区脇浜町3、SRIスポーツ(撮影・立川洋一郎)

 自信作だった。だが売れなかった。

 1987年、住友ゴム工業(神戸市中央区、当時)の山口哲男(57)の理論を基に開発したゴルフクラブ。「間違いなく飛ぶのに…」。首をかしげるばかりだった。

 山口は西宮市出身。京都大工学部から入社後、船を着岸する際の衝撃を抑えるゴム材などを研究。開発した技術の活用を期待され、スポーツ用品担当に転じた。

 当時は「クラブは硬い方が飛ぶ」という考え方が一般的。ドライバーヘッドには主に堅い木材のパーシモン(カキ)が使われていた。

 「常識が正しいとは限らない」と考えた山口。産業製品の開発で培ったコンピューター解析の技術をクラブとボールの研究でも応用した。

 結果は驚くべき内容だった。「クラブヘッドを軟らかくし、ボールの反発力に近づければ飛距離を伸ばせる」。84年に発表した理論は、定説とは正反対だった。
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2010年11月11日

日本のゴルフの源流「神戸ゴルフ倶楽部」

神戸新聞「新兵庫人」(2010/07/18)

日本の源流 第1打は六甲山上で
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昭和初期に建て替えられた2代目クラブハウスはヴォーリズの設計。伝統を守る高畑宗一さん(右)と高橋順男さん=神戸市灘区六甲山町、神戸ゴルフ倶楽部(撮影・辰巳直之)

 フェアウエーから海が見える。海抜800メートル、神戸・六甲山上。大阪湾を見渡すこの絶景の地に、1901(明治34)年、イギリス人貿易商アーサー・ヘスケス・グルーム(1846〜1918年)が四つのホールを造った。日本のゴルフの源流をたどれば、すべてここに行き着く。

 グルームは、はげ山だった六甲山を、神戸にやってきた外国人貿易商らの避暑地として開発した。社交の場として造ったコースをもとに03年に設立した日本初のゴルフ場「神戸ゴルフ倶楽部」(KGC)は当時の姿を色濃く残す。

 パー72ではなく61と短いが、自然の地形を生かした高低差の大きい難ホールぞろい。電動カートはなくすべて徒歩。男子大学生のキャディーに預けるクラブは10本までに制限される。
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2010年11月10日

日本初のボクシングジム「国際柔拳倶楽部」

神戸新聞「新兵庫人」(2010/04/25)

港町で百年 「闘志」脈々と  「パンチは10倍にして返せ」
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神戸拳闘会は谷崎善子さんの意志で15年前と同じ姿を残している。震災で止まっていた掛け時計は再び時を刻んでいる=神戸市兵庫区(撮影・内田世紀)

日本初のボクシングジムは101年前、神戸に生まれた。神戸港から伝わった欧米発祥の格闘技を、気骨のある男たちが発展させた。

 1909年、嘉納健治(故人)が御影町(現・神戸市東灘区)の自邸につくった「国際柔拳倶楽部」(後の大日本拳闘会)が国内ジムの源流とされる。

 健治は柔道の創始者、嘉納治五郎(故人)のおいっ子。神戸港を訪れた外国人船員からボクシングを学ぶと、神戸で広めようと一計を案じた。柔道対ボクシングの異種格闘技戦「柔拳試合」。拳で相手を殴り倒す未知のスポーツに人々は熱狂し、13年に新開地にできた劇場「聚楽館(しゆうらくかん)」で試合が行われると、満員になったという。

 健治はほかの人がジムをつくることを認めず、いくつかのジムが生まれては消えていった。そんな中、敢然と健治に意見し、31年に神戸拳闘会を立ち上げたのが谷崎善次(故人)だった。この神戸拳闘会が、世界チャンピオン長谷川穂積と西岡利晃を生んだ兵庫県ボクシング界の礎を築く。

 善次は「スポーツの独占は間違っている」と堂々と立ち向かい、健治はその度胸を気に入ってジムを認めたという。やがて健治の大日本拳闘会は姿を消すが、神戸拳闘会は戦災を乗り越え、長い歴史を刻む。


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2010年11月09日

柔道の創始者、嘉納治五郎

神戸新聞「新兵庫人」((2010/04/04)

治五郎の理想 「一本」狙う姿勢不変
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柔道の創始者・嘉納治五郎の孫で講道館名誉館長の嘉納行光さん=神戸市須磨区のグリーンアリーナ神戸(撮影・大山伸一郎)

 柔道の創始者、嘉納治五郎(1860〜1938年)は近代体育の父とも言われる。

  摂津国御影村(現神戸市東灘区)に生まれ、官立開成学校(現東京大学)在学中に柔術を学び、さまざまな武道を取り入れて「柔道」を起こす。

  柔よく剛を制す。相手の力を利用して投げる術理を、分かりやすい言葉で説明した柔道は人心をつかみ、1882年に講道館を設立すると、一気に国内外に広まった。

  現在、国際柔道連盟(IJF)には約200の国と地域が加盟する。柔道を世界中に普及させた治五郎だが、孫の嘉納行光(77)は「柔道家である前に、まず教育者だった」と語る。

  東京高等師範学校(現筑波大学)校長、大日本体育協会(現日本体育協会)初代会長、アジア初の国際オリンピック委員会(IOC)委員―。

  柔道を確立した男の後半生は、スポーツ教育の普及にささげられた。

  日本が初参加した1912年のストックホルム・オリンピックに団長として参加。日本にスポーツの概念を伝え、戦前の東京オリンピック招致に貢献した。

  世界をまたに掛けた活動を実らせたが、治五郎もまた時代の波にのみこまれていく。

  戦争の激化で東京開催に暗雲が漂い始めた38年、カイロで開かれたIOC総会では治五郎に冷たい視線が向けられた。77歳の老体を押してアジア初の五輪開催の意義を訴えたが、帰りの船上で肺炎をこじらせ帰らぬ人となった。その2カ月後、東京開催は夢と消えた。

  「私利私欲ない人だったそうです。祖父をよく知る人は皆そう言いました」

  行光も昨年、決断を下した。29年間務めてきた講道館長と全日本柔道連盟会長職を辞し、後任を上村春樹(59)に任せた。上村は76年モントリオール五輪無差別級の金メダリスト。これまで嘉納家とその親族が務めてきた両職を、一族以外の人物に初めて託した。

  柔道界も大きく変わり始めている。今年3月、全日本柔道連盟は講道館ルール主体の国内主要大会で、IJFの国際ルールを適用することを決めた。世界で普及している青色道着の使用も可能となる。

  一方、かつて本家%本と対立したIJFも「効果」ポイントの廃止を決めるなど、治五郎が説き続けてきた「一本をとる柔道」の良さを評価する姿勢を強めている。

  講道館名誉館長となった行光は「治五郎師範の理想とする柔道を追求することが講道館の使命」と話す。国際化の波にさらされる中で、追い求める道は変わらない。 (敬称略)

(運動部・伊藤大介)
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2010年11月07日

灘の文化発信 蔵元の意地[甲東(こうとう)会]

神戸新聞「新兵庫人」(2009/10/04)

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小唄「大磯」などを朗々と歌い上げる岩田史朗さん=東京都中央区日本橋人形町1(撮影・山口 登

 上方からの「下り酒」は、ぬ利彦などの仲買商が買い付け、2次問屋を経て小売店に卸す―。江戸時代に確立された清酒の流通ルートに対抗、大正期には灘の蔵元が東京に支店を構えるようになった。

 櫻正宗、沢の鶴など9社が1924(大正13)年に設立したのが甲東(こうとう)会。六甲山の東、東京で結束しようと名付けられた。対抗はできなかったが、今では親睦(しんぼく)団体として各社の東京支店を結び、販売の最重要拠点である首都圏で存在感を示す。

 メンバーの中で「おそらく東京勤務が一番長いのでは」と自任するのが大関(西宮市)取締役東日本担当の室田(むろた)裕一(55)。東京での営業歴は丸25年になる。芦屋生まれの須磨育ち。関学大を卒業して入社後、30歳で東京に赴任してから“主戦場”一筋だ。

 関西弁は抜けない。押しの強さと、相手の懐に入り込む営業スタイルを貫いてきた。赴任当時は「ワンカップ」「はこのさけ」など、大関が業界に先駆けて売り出した商品がヒット。皆が競って清酒を飲み、酔いしれた時代だ。

 現在、首都圏での同社のシェアは約8%。ほかの清酒メーカーに比べると高いが、焼酎やワインなどとの競争や、若者のアルコール離れは想像以上のスピードで進む。同社の年間生産量は15年前の約半分、20万石(一升瓶で約2千万本)まで落ち込んだ。

 それでも室田はあきらめていない。一極集中の批判はあるが、東京には圧倒的な人口がある。「和食が見直されるなどの追い風を受け、新たな流れをつくり出したい」。営業一筋の男の意地だ。

 「アサヒビールの『スーパードライ』がビールの業界地図を塗り替えた。日本酒でもあんなヒットを飛ばしたい。われわれの歴史と商品開発力なら可能だ」

 「そして」と付け加えた。「東京には灘の酒の文化が根付いている」
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2010年11月06日

灘の生一本を売る男の誇り 商売300年

神戸新聞「新兵庫人」(2009/10/04)

酒で支える江戸の粋
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300年にわたり、東京で灘の酒を扱うぬ利彦。「瓶詰めになる前は、この屋号入り容器で配達していたそうです」と語る中澤彦七さん=東京都中央区京橋2(撮影・山崎 竜

 生粋の江戸っ子である。

 「家を3度建て替えられたら一人前の江戸っ子だと言うね。せっかく構えた家が火事や震災に遭うと、出身地に帰った人も結構いたらしいから」。変ぼうし続ける大都市で、商売を続けるのは大変だ。

 中澤彦七(67)は東京・日本橋近くで約300年続く酒類卸売業「ぬ利彦(りひこ)」の社長。歴代当主が「彦七」を襲名し、中澤は九代目に当たる。

 初代は摂津国・三田出身。江戸の繁栄を伝え聞き、藩主・九鬼家の参勤交代の列に加わってやって来た。江戸時代中期の1717年に酒の仲買商を始め、当時の店名「塗(ぬり)屋」の彦七がそのまま今に続く社名になった。
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2010年11月05日

日本初のプロジャズバンドが神戸で誕生した(2)

神戸新聞「新兵庫人」(2009/09/13)より

心の演奏 父から子へ
24a.jpg音楽は人を幸せにする。それが絶対条件や」と語る小曽根実さん(右)、真さん親子。鍵盤を前にすると、自然に演奏が始まる=神戸市中央区楠町5(撮影・山崎 竜)
 ジャズのスタンダード曲「マック・ザ・ナイフ」。軽やかに弾く息子に、ジャズオルガン奏者の小曽根(おぞね)実(みのる)(75)は驚いた。教えたわけでもないのに…。「パパのオルガンを鳴らしてたら、レコードで聞いた音があった」。小曽根真(まこと)(48)の“初ジャズ”は3歳だった。

 1983年に米国でデビューして以来、国内外で活躍する世界的ジャズピアニストは13歳まで楽譜が読めず、耳で覚えた。

 神戸のジャズ界を支える実は多数のテレビ番組などを抱え、帰宅が遅かった。神戸市内の自宅でオルガン教室を開く月曜日、覚えた曲を弾く真の伴奏をした。間違えると「よく聞き直して」と一言。「心を込めれば、必ず人の心に届く」とも言い聞かせた。独学で演奏を覚え、進駐軍キャンプやダンスパーティーで腕を磨いた実の信条だった。

 中学生になると、真は神戸・北野の老舗ライブハウス「ソネ」に出入り。「ジャズ仲間、ミー坊(実)の息子だから」とかわいがられた。トリオに加わり、互いの呼吸を感じながら、演奏する醍醐味(だいごみ)、客の喝采(かっさい)を浴びる喜びを知った。

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